格闘家・萩原京平選手のタトゥーが話題になっています。RIZINで活躍する彼の身体には、数多くのタトゥーが刻まれていますが、それぞれに深い意味やストーリーが込められているようです。今回は、萩原選手自身が語ったタトゥーの意味や背景について詳しく見ていきましょう。
目次
萩原京平のタトゥーの意味を徹底解説
初めてのタトゥーは19歳で入れたウエスタンスタイル
萩原選手が初めてタトゥーを入れたのは19歳の頃。きっかけは、当時憧れていた先輩たちの影響でした。大阪のブランド「ファットランク」を運営する先輩たちが、ウエスタンスタイルのタトゥーを入れていたことに魅了され、自身も同じジャンルのタトゥーを選んだそうです。
最初に入れたのは、巻きタバコを咥えた女性のデザイン。「何を入れたいかより、とりあえず早く埋めたい」という気持ちが強かったと当時を振り返っています。ウエスタンの音楽やダンス、ライフスタイル全体に惹かれ、全身に彫ってもかっこいいと確信したといいます。
引用元:GQ JAPAN
グロック銃や骸骨に込められたこだわり
腕には「グロック」という銃のタトゥーが刻まれています。これは、伝説的なラッパー2PACが撃たれた際の銃がグロックだったという話を聞いて選んだもの。肘には骸骨と女性、そして煙のデザインが施されています。
特に煙のモチーフには深い意味があります。萩原選手が所属する「スモーカージム」との関連性を表現するため、巻きタバコや煙をテーマに仕上げてもらったとのこと。これらはすべて、大阪の「デスペラード」というショップのポリマーさん、通称「まんさん」という彫師によるものです。
引用元:GQ JAPAN
ブラック&グレーのタトゥーで有名な彫師に仕上げてもらえたことを、萩原選手は心から喜んでいる様子でした。先輩たちも同じ彫師に依頼していたことから、信頼できる技術力があったのでしょう。
親友を偲ぶ胸のタトゥーに込められた深い思い
萩原選手のタトゥーの中で最も思い入れが深いのが、胸一面に刻まれたデザインです。これは23歳頃に入れたもので、小学生の頃から一緒だった親友を偲ぶために彫ったものだといいます。
その親友も格闘技をしており、お互いに刺激し合える関係だったそうです。しかし23歳頃に親友が亡くなってしまい、胸にタトゥーを入れようと考えていた萩原選手は、迷わず親友のことを入れようと決めました。
デザインは、ウィズ・カリファの「See You Again」という楽曲の歌詞と、王冠を被ったコウモリ。コウモリは使者を象徴する動物として選んだそうです。「一番思い入れのある場所、一番痛いところに、一番大切な親友のことを刻みたい」という強い思いが伝わってきます。
引用元:GQ JAPAN
正直、この話を聞いて胸が熱くなりました。タトゥーというと見た目のかっこよさだけに注目しがちですが、萩原選手にとっては亡き親友との絆を永遠に刻むための大切な方法だったんですね。格闘技という厳しい世界で戦い続ける彼にとって、この胸のタトゥーは常に親友と一緒に戦っている証なのでしょう。
「22」という数字に込められた特別な縁
脇腹には「22」という数字が刻まれています。これには複数の意味が込められているそうです。
まず、萩原選手がRIZINでデビューした大会が「RIZIN22」。さらに、キャリアの中で最も納得のいく勝利を収めた試合では、22秒でKO勝ちを決めています。このように「22」という数字には特別な縁を感じたため、脇腹に刻むことを決めたといいます。
引用元:GQ JAPAN
また、格闘技の象徴としてケージ(金網)のデザインも入れています。基本的にはRIZINという団体で戦っていますが、金網の中で戦うこともあるため、それを表現しているようです。
太ももの虎とコナー・マクレガーの言葉
太ももには虎のタトゥーが入っており、これは萩原選手のお気に入りだそうです。虎の近くには文字が刻まれていますが、これは総合格闘家コナー・マクレガーの言葉を引用したもの。
引用元:GQ JAPAN
「自分自身を信じろ、自分を止めるものは何もない」という意味の言葉で、試合前に自分自身を鼓舞するために入れたといいます。リングに上がる前、バックステージで待機している時に目に入りやすい場所に配置することで、常に自分を律することができるようにしているそうです。
アスリートにとって、メンタル面での自己管理は勝敗を左右する重要な要素。萩原選手は、タトゥーという形で常に自分を鼓舞する仕組みを作っているんですね。これはとても理にかなった方法だと感じます。
萩原京平の背中の刀のタトゥーが持つ武士の精神
戦いの場で武士のパワーを宿す背中の日本刀
背中には大きな日本刀が刻まれています。これは、戦いの世界で生きる格闘家として、リングに上がる時に武士のパワーを宿すという意味が込められています。
引用元:GQ JAPAN
このタトゥーは非常に評判が良く、萩原選手のファンの中には同じデザインを真似して入れた人もいるほど人気があるそうです。萩原選手自身も「自分らしいタトゥー」として気に入っており、先祖が武士だったことも相まって、戦いの場に立つ自分を表現する最適なデザインだと考えているようです。
今後入れたい毘沙門天のタトゥー
背中には、戦いの神である「毘沙門天」を入れたいと以前から考えていたそうです。しかし、所属していた時期に彫師から「地上波に映れなくなるぞ」と忠告され、一旦保留にしていました。
当時はRIZINが地上波で放送されており、テレビに映ることを重視していたため躊躇したとのこと。しかし現在は地上波放送がなくなったため、「これから好き勝手入れようと思っている」と語っています。
タトゥーがきっかけで広がった海外での交流
20歳の時に一人でアメリカに行った際、コミュニケーションの取り方に困っていた萩原選手。しかし、タトゥーをきっかけに多くの人が話しかけてくれたそうです。
お互いのタトゥーを見せ合い、「これいいね」「かっこいい」と言い合うことで、言葉の壁を越えて交流することができました。タトゥーが国際的なコミュニケーションツールになったという経験は、萩原選手にとって大きな財産になっているようです。
タトゥーを入れる痛みと次への期待
タトゥーを入れる際の痛みについても率直に語っています。「その場は激痛で、彫師にイライラしてくることもあるくらい痛い」と正直な感想を述べていますが、それでも終わったら「次は何を入れようか」と考えているそうです。
今後は、サバイバル系のデザインやトライバル柄を一面に入れたいと考えているとのこと。痛みを乗り越えて、自分の人生やアイデンティティを身体に刻み続ける姿勢は、格闘家としての精神性を感じさせます。
日本のタトゥーに対する考え方について
日本社会におけるタトゥーへの偏見についても触れています。「日本を動かしている世代がごっそり変わらないと考え方も変わらない」と冷静に分析しながらも、「自分が住みやすいところに行けばいい」という前向きな考え方を示しています。
日本でタトゥーへの理解が進むのを待つのではなく、自分自身が住みやすい環境を選ぶという選択肢も視野に入れているようです。
まとめ
萩原京平選手のタトゥーには、それぞれに深い意味やストーリーが込められていることがわかりました。単なるファッションではなく、人生の節目や大切な人への思い、格闘家としての覚悟などが刻まれています。彼のタトゥーを通じて、その生き方や価値観を知ることができる貴重な機会となりました。今後も格闘家として、そして一人の人間として、どのようなタトゥーを刻んでいくのか注目していきたいですね。






